【心理学】「都会の人は冷たい」は仕方ないこと
こんにちは。うんちく星人です。
私は仕事の関係で北海道のとある田舎に住んでいるのですが、田舎の人は優しい人が多いと感じています。
もともと都会っ子だったので近所づきあいとかもあまりなかったのですが、田舎に引っ越してからは近所付き合いが多くなりコミュニケーション能力が上がった気がします。
先日、こんなことがありました。
お昼に布団を洗濯してベランダに干していたのですが、外の天気など気にしていなくて夜から小雨が降ってきたことに気づかず、ずっとベランダに干しっぱでした。
すると、お隣のおじいちゃんが23時くらいにわざわざ「雨が降ってきたから布団しまいなよー」と教えに来てくれました。
ささやかなことですがこうした小さいことでも人間のあたたかみを感じることができました。
私の実家周辺ではこうしたあたたかみを感じることがありませんでした。
街で困っている人や頭のおかしい人がいても見て見ぬふりをする人が多いですよね。
そんな時、「都会の人は冷たいな~」と思ってしまいます。
しかし、これは心理学的には仕方ないことだそうです。
前置きが長くなりましたが、今回はなぜ都会の人が冷たいのかについて説明していきたいと思います!
人は誰でも助けたいという心を持っている
人は誰もが困っている人を助けたいという心を持っています。そして、助けるために行動することを「援助行動」と言います。
心理学で援助行動について研究するきっかけとなったのは、1964年にアメリカ・ニューヨークで起こったある事件でした。
深夜、帰宅途中の女性が住宅街で暴漢に襲われました。女性は大声を出して助けを求めたのですが、近隣住民もその声に気づいていたのにも関わらず、誰も助けに出ることはありませんでした。結局、その女性は暴漢に殺されてしまいました。(キティ・ジェノヴィーズ事件)
当時の新聞は「目撃者が多かったのにも関わらず誰も助けなかったのは、都会の冷たさの表れ」と報道しました。
しかし、この事件に対し、心理学者のジョン・ダーリーとビブ・ラタネは「目撃者が多かったからこそ助けなかったのだ」と主張したのです。
不快感解消的援助:人の窮状を見るのが自分にとって不快だから助けようと考える心理。利己的な援助行動の一つ。例)マンガ「斉木楠雄のΨ難」の主人公・斉木楠雄
報酬獲得的援助:見返りを求めて援助しようと考える心理。利己的な援助行動。正直この援助行動が日常生活で一番多いと思う。例)商売、好きな人に優しい人だと思わせるために行動する人など
傍観者効果と相互抑制効果
援助行動は人の自然な行動なのですが、その場に自分以外の人がいると行動にブレーキがかかってしまいます。「自分が助けなくても誰かが助けるだろう」と責任が分散してしまうわけです。そして結局、だれも助けないという結果に。これを「傍観者効果」といいます。
さらに、周囲の人の判断や行動も援助行動に影響を与えます。「ほかの人が何もしないのに自分だけ行動を起こすのは恥ずかしい」「誰も動かないということは、助けるほどの事態じゃないのかも」と、羞恥心や疑問を抱き、「助けなきゃ!」という気持ちが抑制されてしまうのです。これを「相互抑制効果」といいます。
傍観者効果も相互抑制効果も、その場にいる人数が増えるほど大きく働きます。
つまり、集団が大きくなるほど、助ける人がいなくなるということです。
これらの効果を出させないためには、「誰か助けて」ではなく「そこのあなた助けて」と指名する必要があります。
まとめ
このような心理学観点から、都会の人は冷たいと思ってしまうそうです。
別に都会にいると感情が薄れて冷たくなるというわけではありません。
その場に居合わせる人数が多いほど他人任せになってしまうのは集団心理の一つで、ごく自然なことだということなのです。
逆に、人数が少ないと「自分があの人を助けなきゃ」とか「みんなで協力しないと」という気持ちが芽生えやすいため、田舎の人は協調性があり心が温かくなるということですね。
たしかに私も経験上、赤の他人が困っている時、周りに大勢人がいる場合は助けなかったし誰もいなかったら助けてましたね。でも、みんながそういう考えだと、大勢いるところで困っている人は誰にも助けてもらえなくなるので、今度からは積極的に助けるようにしよう!
今回はここで終わりです。
心理学は個人的に好きな分野なので、これからどんどん記事にしていこうと思っています。
ではまた!